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救い主(当教団の教祖)について

救い主依田 君美(よだきみよし)

1916(大正5)年6月29日生

【出生】 山梨県南巨摩郡五開村柳川(現在の富士川町柳川)

【略歴】 君美は、誕生後4歳まで口をきかなかったが、4歳のある日、突然口をきくようになる。また、2歳の頃より絵を描き始める。その絵は、子どもの絵の域を越えており、村では神童といわれたという。宗教的環境としては特別なものはなかったようで、父も母も宗教にはあまり関心を示さなかったという。小学校入学の少し前、父が士官学校の教授に任官したのにともない東京に移るが、2年後に関東大震災に遭遇し、山梨に帰る。1934(昭和9)年、旧制甲府中学を卒業後、1937(昭和12)年、東京美術学校工芸科に入学。同校卒業後、1942(昭和17)年、美術工芸会社に入社、時節柄セメントを使って種々の像を造るが、そこでお地蔵様の像を造り好評を得る。1943〜4(昭和18〜9)年、三重師範学校の教諭を務め、後に機械製造会社の設計部門に勤めるが、終戦により失職、かつぎ屋などを経て、自宅に美術研究所を開く。1947(昭和22)年から、山梨県立甲府工業高等学校、私立甲府湯田高等学校の教諭を務め、立教直前の1974(昭和49)年5月に退職する。

若い頃から神の声を聞くも、あまり気にせずにいたが、岡田光玉氏の著書「奇跡の世界」に感銘を受け、1970(昭和45)年8月、同氏の世界真光文明教団に入信。甲府には道場がなかったため八王子に通い、後に自宅を八王子中道場甲府連絡所とする。1974(昭和49)年3月、神示により独立を決意し、同年6月6日、「神幽現救世真光文明教団」の名を掲げ立教した。2003(平成15)年1月19日、満86歳にて死去。

君美の誕生には2つの奇瑞(きずい)があったという。ひとつは妊娠した母のお腹にミカン大の丸いあざが3つ、山の形に出現し、誕生とともに消失したといわれるものである。もう一つは、君美が誕生して1年10カ月後に見たという父の夢で、空から降る蓮華と釈尊の葬列を見たというものである。空からの蓮華に混じって1枚の絵が父の手の上に乗った。絵は上から赤、白、緑の3色に分かれ、中央には蓮台に乗った救い主が描かれていた。3色は大宇宙を構成する3つの世界(神界・幽界・現界)を表わし、救い主は君美を、釈尊の葬列はミロクの下生(げしょう)を表すとされ、最後の救い主・依田君美がミロク神であることの表われであると理解されている。

新宗教教団・人物事典(弘文堂)の記載を参考にしました。

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